ゲストは『週刊サッカーマガジン』の元編集長(1998-2004)である伊東武彦氏と、『週刊サッカーダイジェスト』の元編集長(2000-2006)である山内雄司氏。ナビゲーターはサッカージャーナリスト養成講座アカデミー長の@ganpapaこと岩本義弘氏。
伊東さん、山内さんとも2002年日韓W杯時に編集長を務められていた訳で、筆者が両誌を一番購入していた時期が97年から04年くらいまでなので(ちなみにその後は画像収集ソースがネットに完全移行した)、興味深い話がたくさん聞けました。

両氏が「やっちまった」と後悔し、伊東さんが自誌のカメラマンを叱責したという問題の表紙

中田英寿を初めてシドニー五輪代表に合流させたアウェーのカザフスタン戦(99/10/9)を伝えた号

トルシエ監督の浴衣姿の版を逆に入れてしまい、その結果、袷(あわせ)が死に装束に。。。

「それをトルシエ監督にわざわざ伝えた方がいて。。(苦笑)」と伊東さん
マガジン誌の2002年本大会までのカウントダウンを入れた表紙。「今思うとただ自分ではしゃいでただけ」と自戒する伊東さんと「これ見てしめた!と思いましたよ」と告白した山内さんのやり取りに思わず笑ってしまいました。でもその山内さんも、2002年大会時は日刊化の為、印刷所内の特設編集部にこもりっきりで現場で1試合も見れなかったそうです。

大会の半年前から表紙に入ったカウントダウン。表紙写真が著しくデザインの制約を受けたという


奄アれが日刊ダイジェスト誌。伊東さん「新聞じゃん(笑)」 岩本さん「バカかと思いましたよ(笑)」
サッカージャーナリストは「まず何よりも選手をはじめとする現場をリスペクトすべき」と断言した伊東さん。「誰がシュートして。。などのレポートを書いても意味がない。試合が始まるまでに感じたことを含め、自分なりの視点が重要」と一歩も引かない山内さん。ジャーナリズムの最前線で活躍された両氏の言葉に頷くばかりでした。
また、穏健で回転の早い伊東さんと、寡黙ながら歯に衣着せない山内さんの対照的なキャラクターに、鋭く突っ込みながら熱いトークの展開に持ち込んだ岩本さんのコーディネイト力にも感服でした。
また、穏健で回転の早い伊東さんと、寡黙ながら歯に衣着せない山内さんの対照的なキャラクターに、鋭く突っ込みながら熱いトークの展開に持ち込んだ岩本さんのコーディネイト力にも感服でした。


筆者が最も印象に残っているコピー「ウッジの閃光」(マガジン誌2002/4/17号)

最近の同誌では見られなくなった現地ライブ感のある誌面にワクワクしたものだ
このネットメディア全盛の環境下で、サッカー専門誌はどうあるべきか? サッカージャーナリストは何をどう書けばいいか? という難しい命題。ジャーリズムとは言えないまでも、筆者が本ブログを書いていく中でも気づいたことがあります。
本ブログのメインコンテンツは画像です。ともするとネットの海のなかから画像を探し出してタイムリーに編集することだけに走りがちで、特に最近は、さばき切れない新ユニフォーム情報と試合、大会の中で、ただ簡単な説明と画像を並べるだけになってしまっています。でもやっぱりそこに自分なりの視点や言葉を足さないといけないな、と。
日々勉強、日々研鑽あるのみです。
伊東さん、山内さん、岩本さん、本当にありがとうございました。
本ブログのメインコンテンツは画像です。ともするとネットの海のなかから画像を探し出してタイムリーに編集することだけに走りがちで、特に最近は、さばき切れない新ユニフォーム情報と試合、大会の中で、ただ簡単な説明と画像を並べるだけになってしまっています。でもやっぱりそこに自分なりの視点や言葉を足さないといけないな、と。
日々勉強、日々研鑽あるのみです。
伊東さん、山内さん、岩本さん、本当にありがとうございました。

筆者の部屋。マガジン、ダイジェスト両誌がぎっしりと並ぶ
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サッカーキングへのアップ、是非お願いします(笑)
お陰で、新ユニフォーム画像のアップがますます遅れ気味です(苦笑)
正直、これをサッカーキング上にアップさせてもらいたいくらいです。
しかも、本日の自分の唯一の行きすぎ発言、「バカかと思いましたよ」までキッチリ拾われていた点に感服しました(笑)。