ユーゴスラビア代表ユニフォーム(Yugoslavia National Football Team Kit Chronicle)

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ここではWikipediaの定義に従い、
セルビア、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアおよび
コソボにより構成されていたユーゴスラビアを代表するナショナルチームについて扱う。
即ちその扱いはサッカーユーゴスラビア代表が崩壊する1992年までとし、
以降2003年まで、ユーゴスラビアを名乗った、現在のセルビア・モンテネグロの枠組みでの
「ユーゴスラビア代表」(1992年-2003年)については「セルビア・モンテネグロ代表」に譲る。

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 セルビア・モンテネグロ代表
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 モンテネグロ代表
 クロアチア代表
 スロベニア代表
 ボスニア・ヘルツェゴビナ代表
 マケドニア代表
 コソボ代表

1992年?(adidas)
 ユーロ92本大会で着用されるはずだったモデルと思われる。詳細不明。
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1990-1992年(adidas)
 ユーロ92予選では、ホームはイタリアW杯モデル、アウェーはニューモデルが着用された。
 連邦崩壊の危機の中、スロベニア、クロアチアの選手抜きながら、イビチャ・オシムに
 率いられたチームはデンマーク、オーストリア、北アイルランド、フェロー諸島と
 同居したグループを7勝1敗で通過した。
 この画像は、本大会に向けた92年3月25日に行われたオランダとのテストマッチの画像。
 結果的にこの試合が旧ユーゴスラビア、最後の試合画像となった。
 5月22日、6年間ユーゴスラビア代表を率いたボスニア人のオシム監督が、ボスニア紛争の影響で
 辞任。5月28日、ユーロ92スウェーデン大会に参加の為、ストックホルムでキャンプを張っていた
 ユーゴ代表は国連決議により国際大会からの追放を宣告され、24時間以内の帰国を余儀なくされた
 のである。
 詳しくはWikipedia「サッカーユーゴスラビア代表」を参照。
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青×白×赤 集合
 1992/3/25 テストマッチ vs.オランダ 0-2  (写真データ不明)

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白×白×白 Robert Jarni
 1990/11/14 ユーロ92予選1組 vs.デンマーク 2-0(コペンハーゲン)
(WOWOW「'92ユーゴスラビア代表の崩壊」 soccernostalgia.blogspot.jp)


1990-1991年(adidas)
 イタリアW杯を戦ったモデル。このチームはヨジッチ(クロアチア)、カタネッツ(スロベニア)、
 ストイコビッチ(セルビア)らを擁したスター集団であった。
 オシム監督は初戦の西ドイツ戦で意図的にスター選手を使い、機能しないことを示し、
 サッカーと民族問題を同一視して捉える母国のマスメディアを沈黙させた。
 以降、サビチェビッチ(モンテネグロ)をスタメンから外し、グループリーグを突破、
 決勝トーナメント1回戦のスペイン代表もストイコビッチの2得点で下し、ベスト8準々決勝まで
 勝ち上がった。
 ここでユーゴスラビア代表を待っていたのがディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチン代表であった。
 1990年6月30日、フィレンツェで行われたアルゼンチンとの試合は、記憶に残る試合の一つとして
 現在でも語られている。中盤の守備の要となるカタネッチを怪我で失い、しかもこの試合の途中で、
 右サイドのサバナゾビッチが退場。試合の大半を10人で戦うことを余儀なくされた。
 それでも延長を含めて0-0のスコアレスドローに終わり、結果はPK戦にゆだねられた。
 オシムの証言によると、このときPKを蹴ることを申し出たのはたったの2人。
 失敗して帰国した際に民族主義者により生命に危険に晒されることを恐れたためだといわれている。
 結局ユーゴスラビア代表はその2人以外の3人がPKを外して90年のワールドカップを後にした。
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青×白×赤 集合
 1990/6/10 イタリアW杯D組第1戦 vs.西ドイツ 1-4(ミラノ)  (www.soccermond.com)
Dragan Stojkovic
 1990/6 イタリアW杯  (写真データ不明)

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ユーゴ90adidas白白白.jpg
白×白×白 集合 Dejan Savicevic 
 1990/6/26 イタリアW杯決勝T1回戦 vs.スペイン 2-1(ベローナ)  (BBM 写真データ不明)

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ユーゴ90adidas白白赤.jpg 
白×白×赤 集合 Robert Prosinechi 
 1990/6/30 イタリアW杯準々決勝 vs.アルゼンチン 0-0 2PK3(フィレンツェ)  (写真データ不明)


1989年(adidas)
 イタリアW杯に向けたテストマッチ着用モデル。
 予選モデルと同デザインだが、Vネックからポロ襟にマイナーチェンジされた。
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青×白×赤 Safet Susic
 1989/12/13 テストマッチ vs.イングランド 1-2  (別冊SOCCER MAGAZINE)


1988-1989年(adidas)
 ソウル五輪、イタリアW杯予選を戦ったモデル。
 ソウル五輪ではブラジル、オーストラリア、ナイジェリアと同居した組で1勝2敗の3位に終わった。

 イタリアW杯予選に臨んだこの時代、各共和国の民族主義者からは「自分たちの共和国は
 祖国であるが、ユーゴスラビアは祖国ではない」と言う考え方の下、自らの共和国出身の
 選手に対して、ユーゴスラビア代表に加わらないように政治的、物理的圧力が
 かけられるようになった。
 またユーゴスラビア国内で行われる国際試合では、スタンドの観客が、ホームチームではなく、
 アウェイのチームを応援することが常態化していた。

 こうした状況の中では代表チームを編成すること自体が困難になってきていた。
 各共和国のメディアは他の共和国の選手(特にセルビア)の選手を指して、
 「なぜあいつを使うのか?それよりも自分たちの共和国の選手の方が素晴らしい」と書きたてて、
 代表、監督を批判した。セルビア系のメディアでは自国内の対立を持ち込むものまでいた。
 時にはこうしたメディアがベンチの横にまで入ってきて、文句を吐きかけられたとオシムは証言する。
 中には文句をまくし立てる横でドラガン・ストイコビッチ(セルビア人)がゴールを決めると、
 オシムに向かって「結果が間違っている」と叫び、翌日は「このゴールは明らかなオフサイド」と
 書きたてる記者もいたほどに、凄まじい環境であった。

 しかしオシムは毅然とした態度で、時には記者たちをあしらい、あるときは怒りを爆発させて
 個人への取材を禁止するなどし、自らが選んだ選手たちの結束を守り(ストイコビッチが
 述べるように、彼らの友情はその後も壊れることはなく今も続いている)、
 スコットランド、フランス、ノルウェー、キプロスを相手に6勝2分で1位突破し、本大会に進出する。
 そしてこれが、ユーゴスラビア代表最後の輝きであった。(Wikipediaより)

【関連記事】
 ある少年の半生から見たユーゴスラビアサッカーの崩壊 (スポニチワールドサッカープラス 中尾裕子)
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青×白×赤 集合 Dragan Stojkovic 
 試合データ不明  (写真データ不明)

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白×白×白 集合 Safet Susic & Dragan Stojkovic
 1989/4/29 イタリアW杯予選5組 vs.フランス 0-0  (別冊SOCCER MAGAZINE)


1987年(adidas)
 チリで行われたワールドユース87着用モデル。 
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紺×白×赤 集合
 試合データ不明  (World Soccer Magazine)


1986-1987年(adidas)
 メキシコW杯の出場を逃し、ユーロ88予選はイングランドの後塵を拝し予選敗退と
 いいところのない時期だった。オシム監督は86年に監督就任とあるが詳細は不明。
 唯一87年チリで行われたワールドユースがメジャーの大会参加となった。
 この大会ではチリ、オーストラリア、トーゴとのグループを全勝突破し、
 準々決勝でブラジル、準決勝で東ドイツ、決勝で西ドイツを撃破し、優勝を果たした。
 しかし、皮肉なことにこのチームの中心選手は、ボバン、シュケル、プロシネツキ、ヤルニら
 後に98フランスW杯でクロアチアを3位にさせた選手たちであった。
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青×白×赤 集合
 1987/10/14 ワールドユース(チリ)A組第2戦 vs.オーストラリア 4-0(サンチアゴ)  (dreamwarrior6.blogspot.com.es)
Robert Prosinechi
 1987/10/19 ワールドユース(チリ)A組第3戦 vs.トーゴ 4-1(サンチアゴ)  (ELEVEN 88/1)

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白×白×白 集合 Dragan Stojkovic
 試合データ不明  (klipingbolaku.blogspot.jp)


1985年(adidas)
 メキシコW杯予選着用モデル。
 フランス、ブルガリア、東ドイツ、クセンブルクとの同組で3勝3敗2分の4位に終わった。
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白×白×白 集合 Dragan Stojkovic
 1985/11/16 メキシコW杯予選4組 vs.フランス 0-2  (SOCCER DIGEST 86/2)


1984年(adidas)
 ユーロ84フランス大会、84ロサンゼルス五輪着用モデル。
 ユーロ84ではフランス、デンマーク、ベルギー相手に3連敗で大会を去った。
 ロサンゼルス五輪ではカナダ、カメルーン、イラクとの同組を1位突破し、
 準々決勝で西ドイツに勝利、準決勝でフランスに敗れたが、3位決定戦でイタリアに勝って
 3位を勝ち取った。
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ユーゴ84-85adidas青白赤.jpg ユーゴ84-85adidas青白赤2.jpg
青×白×赤 集合 Dragan Stojkovic 唄afet Susic
 1984/6/13 ユーロ84(フランス)GL第1戦 vs.ベルギー 0-2  (別冊SOCCER MAGAZINE)

このアウェーモデルはデンマーク戦で着用.
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白×白×白 Velimir Zajec
 1984/6/16 ユーロ84(フランス)GL第3戦 vs.フランス 0-5  (別冊SOCCER MAGAZINE)


1983年(adidas)
 ユーロ84予選着用モデル。
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青×白×赤 選手名不明 
 1983/12/21 ユーロ84予選 vs.ブルガリア 3-2(スプリット)  (sfunion.net)


1983年(adidas)
 イングランドで行われたヨーロッパ・ユース選手権の貴重なショット。
 左端のキャプテンマークをつけているのが当時18歳のドラガン・ストイコビッチである。
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青×白×赤 整列
 1983/ ヨーロッパ・ユース選手権(イングランド)  (写真データ不明)

1982年(adidas)
 スペインW杯、ユーロ84予選を戦ったモデル。
 北アイルランド、スペイン、ホンジュラスとのグループで1勝1敗1分の3位で終わった。
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青×白×赤 整列 選手名不明
 1982/6/17 スペインW杯5組第1戦 vs.北アイルランド 0-0  (別冊SOCCER MAGAZINE)

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白×白×白 Milos Sestic
 1982/6/20 スペインW杯5組第2戦 vs.スペイン 1-2  (別冊SOCCER MAGAZINE)


1980-1981年(adidas)
 スペインW杯予選着用モデル。イタリア、デンマーク、ギリシャ、ルクセンブルクとの組を
 首位で突破し、本大会出場を決めた。前列中央が、日本代表監督になったバヒド・ハリルホジッチ。
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青×白×赤 集合 Vahid Halilhodzic
 1981/10/17 スペインW杯予選 vs.イタリア 1-1(ベオグラード)
(soccernostalgia.blogspot.jp Getty Images/Bob Thomas)


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白×白×白 Vahid Halilhodzic
 1980/ スペインW杯予選  (Getty Images/Bob Thomas)


1978-1979年
 ヨーロッパ選手権1980予選。スペイン、ルーマニア、キプロスとの組で2位で敗退した。


1976-1977年
 アルゼンチンW杯予選。スペイン、ルーマニアとの組で1勝3敗で最下位に終わった。


1976年(adidas)
 自国開催のヨーロッパ選手権を戦ったモデル。
 準決勝で西ドイツに、3位決定戦でオランダに敗れ、4位に終わった。
 なお集合画像は1981とあるが、1981年(スペインW杯予選)は別モデルを着用している。
 前列中央が、日本代表監督になったバヒド・ハリルホジッチ。
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Yugoslavia-76-adidas-blue-white-red.JPG Yugoslavia-1976-adidas-blue-white-red-Vahid-Halilhodzic.jpg
青×白×赤 集合
 試合データ不明  (4.bp.blogspot.com)
Branko Oblak
 1976/ ヨーロッパ選手権(ユーゴスラビア)準決勝 vs.西ドイツ 2-4  (写真データ不明)
Vahid Halilhodzic
 試合データ不明  (yugopapir.blogspot.jp


1974-1975年(メーカー不明)
 西ドイツW杯を戦ったモデル。Vネックに変わった。
 肩に3本ラインが入った。ロゴはないが、adidasか?
 ブラジル、スコットランド、ザイールと同居した1次リーグを1勝2分の1位で突破したが、
 西ドイツ、ポーランド、スウェーデンと同居した2次リーグでは3連敗の最下位で終わった。
ユーゴ74adidas青白赤-整列.jpg

ユーゴ74adidas青白赤.jpg
青×白×赤 整列 
 1974/6/26 西ドイツW杯2次リーグ2組第1戦 vs.西ドイツ 0-2  (写真データ不明)
青×青×赤 Dragan Dzajic
 1974/6/22 西ドイツW杯1次リーグB組第3戦 vs.スコットランド 1-1  (写真データ不明)

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白×白×白 Branko Oblak
 1974/6/18 西ドイツW杯1次リーグB組第2戦 vs.ザイール 9-0  (en.wikipedia.org)


1973年(メーカー不明)
 西ドイツW杯予選を戦ったモデル。
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ユーゴ73メーカー不明青白赤2.JPG
青×白×赤 集合
 試合データ不明  (www.soccermond.com)
Dusan Bajevic
 1973/5/9 テストマッチ vs.ドイツ 1-0  (Soccer Magazine73年7月号/Masahide Tomikoshi)


1968年(adidas)
 ユーロ68で着用されたモデル。この頃のユーロは現在とは開催方式が違っており、
 まず西ドイツ、アルバニアと同居した1次リーグでトップ通過、準々決勝はH&Aでフランスを破った。
 イタリアで行われた決勝トーナメントでは準決勝でイングランドを退け、決勝でイタリアと対峙した。
 1-1引き分け再試合の後、0-2で敗れ、準優勝に終わった。
 写真は旧ユーゴ史上最高の選手と言われるドラガン・ジャイッチ。
Yugoslavia-1968-kit-blue-white-red-line-up.jpg

ユーゴ68adidas青白赤.jpg
青×白×赤 集合 Dragan Dzajic 
 1968/ ユーロ68  (www.thefootballhistoryboys.com 写真データ不明)


1962年(メーカー不明)
 チリW杯着用モデル。
 準々決勝で西ドイツを破ったが、準決勝でチェコスロバキア、3位決定戦でチリに敗れ4位となった。
Yugoslavia-1962-kit.jpg
青×白×赤 集合
 1962/ チリW杯  (www.worldcupteams.republika.pl)


1958年(メーカー不明)
 スウェーデンW杯着用モデル。
 グループリーグを突破したが、準々決勝で西ドイツに敗れた。
Yugoslavia-1958-kit.jpg
青×白×赤 整列
 1958/ チリW杯  (www.worldcupteams.republika.pl)


1954年(メーカー不明)
 スイスW杯着用モデル。
Yugoslavia-1954-kit.jpg
 1954/ スイスW杯  (www.worldcupteams.republika.pl)


1950年(メーカー不明)
 ブラジルW杯着用モデル。
Yugoslavia-1950-kit.jpg ユーゴ年代不明青.JPG
 1954/ スイスW杯  (www.worldcupteams.republika.pl www.toffs.com)


1930年(メーカー不明)
 ウルグアイW杯着用モデル。
Yugoslavia-1930-kit.jpg
 1930/ ウルグアイW杯  (www.worldcupteams.republika.pl)


年代不明(メーカー不明)
 50〜60年代のものと思われる。



http://www.soccermond.com/countries/uefa/serbia/national_team.php

http://beyondthelastman.com/tag/yugoslavia/









posted by yuuki_ono_99 at 00:20 | Comment(6) | TrackBack(0) | ヨーロッパ(UEFA) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>エドウィンさん
おぉっ! 確かにそうですね。
ありがとうございます!
放送では全身画像もあったのですが、撮り逃しました。
Posted by yuuki_ono_99 at 2012年06月26日 10:30
こんにちわ、大変貴重な写真が見れて大変うらしく思います。
見ていてきずきましたが、上から2番目の92年予選対デンマーク戦の選手名不明の選手は、後にクロアチア代表でもプレーするロベルトヤルニ選手だと思います。87年のWユース優勝メンバーで、90年のW杯にも出場しています。
Posted by エドウィン at 2012年06月26日 08:43
>カブラルさん
ボクも今回のエントリーを書くのに、いろいろ読んでいて改めて魅力的なチームだと感じました。
ピクシーやオシムのお陰で、その頃のユーゴチームの様子が
結構日本で紹介されているのもラッキーですね。

もし紛争がなくて90イタリアのユーゴに87チリWYのクロアチア組が融合していれば、
94アメリカでは優勝候補筆頭だったのでは?といった記述もありました。
あながちオーバーではないかもしれません。

ピクシーは出場権を剥奪された92スウェーデン、94アメリカ、96イングランドでは27歳〜31歳。
まさに選手として円熟期を棒に振った訳ですね。

あとスキャナーが故障してまだ取り込めていない画像に、
79年に日本で行われたワールドユースに出場し、
優勝したマラドーナのアルゼンチンと対戦した時のユーゴの画像があるんですが、
なんとPUMAなんですよ。すごい謎!
Posted by yuuki_ono_99 at 2007年12月18日 01:39
ユーゴスラビア代表の90年イタリアW杯以前の80年代やさらに70年代、そして60年代までのユニフォームや少年の日のピクシーの画像とは流石です。

こうして見るとユーゴ代表は青白赤で一見フランス代表みたいですね。それでも直線系のデザインがユーゴのスピード感(自分のイメージですが)を現しているのでしょうか。

私は不運にも90年までのユーゴ代表を知る機会はありませんでしたが、こうした記述や写真を見ていると一度は見てみたかったチームですね。W杯での存在感及び対戦時の難易度としては、現在でいうとどれぐらいなのでしょうか(オランダ代表ぐらい?)。

また、60年代からアディダスを使用しているというのも自分にはポイント高めです。今でしたらアディダス軍団の雄になっていたかと。
Posted by カブラル at 2007年12月18日 00:53
>はーちゃんさん
コメントありがとうございます。リクエスト応え甲斐がありました(笑)
この土日で90イタリア、ユーロ84、82スペイン、74西ドイツとさらに古いとこまで行きますよ。
お楽しみに!
Posted by yuuki_ono_99 at 2007年12月15日 00:27
リクエストにお応えいただき大変嬉しく思います。

私がサッカー好きになったのも、旧ユーゴのサッカーに魅了されたからです。今はなきユーゴスラビア代表は、いつまでも自分の記憶の中で華麗なプレーをし続けてくれることでしょう・・・。

それにしてもユーゴのユニフォームはどれもサイコーだなー♪
そんな中で、個人的にフランス大会'98予選のあのユニフォームはぜひ手に入れたい!!!けど、ヤフオクで探してもどれも高額で手が出せないんです・・・。

そんな嘆きはさておき、この度は本当にありがとうございました。今後も楽しく拝見させていただきます。
Posted by はーちゃん at 2007年12月14日 22:07
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